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2009年1月

打ちっぱなしから学んだこと

 打ちっぱなしといえば、ゴルフ練習場での打ちっぱなしをイメージされる方が大半であろうが、ここで言いたいのはバッティングセンターでの打ちっぱなしである。

 私は小学校時代に地元の野球チームに入っていた。ところが誤った投げ方をしすぎたせいで肘を痛めてしまい、野球を止めざるをえなくなった。ただ、そのおかげで私は陸上競技と出会えることができた。野球は止めてしまったが、今でも大の野球好きである。

 私の家の近くにバッティングセンターがある。私は週に2~4回そこへいって打ちっぱなしをする。陸上競技の指導からの帰りに行くのが通例だ。
 原則1日1回(25球)というのが私が決めているルールで、多くても2回が限度だ。
 最初は時速100kmでも空振りが多かったのだが、今では時速120~130kmを空振りなしで打てるようになってきた。
 そのバッティングセンターには、ホームランボードがフェンスにかかっていて、そこに打球を当てると1回分のサービス券がもらえる仕組みになっている。私もそこに何度か打球を当てたこともある。

 バッティングは腕だけ使ってするのではなく、身体全体を使ってするものだ。実際、腕の力だけで生み出された打球にはスピードや力強さはなく、身体全体を使って生み出された打球にはスピードと力強さがある。

 このことは走りに通ずるものがある。脚だけの力でもらえる推進力などたかが知れている。走りでも身体全体の力を使って推進力を生み出していくのである。

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地面

 久しぶりに陸上競技の技術的な話をしていこう。

 以前に、

  • 歩きでは、両足が地上にある両足支持期と、片足が地上にある片足支持期が交互に訪れる。
  • 走りでは、両足支持期ではなく宙に浮いてる期間が存在し、それと片足支持期が交互に訪れるのだ。
  • 走りにおける片足支持期は大きな役割を担っている。

 ということを述べた。

 では、走りにおける片足支持期の役割とは何なのだろうか。

 走りにおける片足支持期では、地面に力を伝え、地面から力をもらうという大きな役割を担っている。ここでもらう力が推進力の素になる。

 宙に浮いている期間には力を伝えるまたはもらう対象がないため、そこでがむしゃらに動いたところで力の無駄使いにしかならないのだ。

 ある陸上競技会のプログラムの裏表紙に以下の言葉が書かれていた。
 「陸上をやることは、誰よりも、大地や空気に感謝することだ。」
 我々は地面の恩恵を受けて、走ることができるのである。

 

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 地球温暖化は進む一方であるが、この時期の日本はやはり寒い。

 寒い時期によく食卓に出てくるのは鍋である。水炊き、湯豆腐、かも鍋、キムチ鍋等、ラインアップは非常に豊富だ。最近ではカレー鍋というのが流行なようである。

 昨日、私の家の食卓にはもつ鍋が出た。
 地元に国産牛のホルモン肉を売っている店がある。指導へ向かう途中、そこを通った際にもつ鍋セット(肉とだし)を売っている看板を見かけ、帰りに衝動買いした。
 以前は、家でもつ鍋を頻繁に食べていた。そこで使っていた肉は外国産だったのだが、近年のアメリカ産牛のBSE問題や、中国製食品の毒物混入問題によって、そういった肉から手が離れていき、結果として家でもつ鍋を食べる機会が激減したのだ。

 久々に食べたもつ鍋は、格別の味だった。濃厚なみそ味のだしが染みた肉や野菜を食べたことで体の芯から温まった。おそらく月に一回は食卓にもつ鍋が出てくることだろう。

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2009年最初の戯言

 2009年が始まった。

 始まって早々、箱根駅伝で新たな若き山神が誕生したりと、日本の陸上競技界においてはいい1年になりそうな雰囲気が漂っている。

 私はここ数年、非常にいい感じで過ごせているように思える。今年もぜひぜひそうなってほしいものだ。

 今年に入って、携帯電話を買い換えた。Softbankの最新で、液晶画面に触れて操作できるという優れものだ。

 携帯電話ができた当初は通話しかできなかった。それが、メールができるようになり、インターネットができるようになり、音楽が聴けるようになり、テレビが見れるようになりと、ここ数年で携帯電話は劇的な変化を遂げた。この劇的な変化を遂げている携帯電話、これからどのような変化を遂げていくのだろうか。楽しみでもあり、ある意味恐ろしくもある。

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